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豊川稲荷 [立川流の「粟穂鶉」]

立川流が建立した豊川稲荷の建築物

文化7年 豊川稲荷拝殿
文政4年 豊川稲荷客殿
文政5年 豊川稲荷内殿
天保元年 豊川稲荷前向拝ノ間
弘化4年 豊川稲荷総門
安政7年 豊川稲荷奥之院
「静岡浅間神社と立川和四郎と其の一門」より抜粋
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現在の豊川稲荷奥の院
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作戦変更 [東三河ビジネスプランコンテスト]

今年も挑戦する東三河ビジネスプランコンテストですが、作戦を変更しました。
昨年は受賞を狙ってプランを作りましたが、2次選考で落選しました。
今年は落選を前提にして、落選した場合に何を残せるか?という所から出発しています。

落選しても、事例集には「応募プラン名」が掲載されます。
具体的な対策として、応募プラン名にPRしたい事を盛り込む事にしました。

応募テーマは3テーマの予定
①200年前の古文書を解読して復活!東三河の温泉街で「巾着鶉」の展開
②火縄銃の発砲音と硝煙を穀類膨張機で再現!火縄銃式ポン菓子の実演移動販売
③豊川稲荷に秘められたストーリーを商品化!「粟穂鶉の豊川うずら缶」の提案

プレゼンの内容は、NHKの歴史秘話ヒストリアみたいになっています。
落選したらブログで発表しますが、受賞したら顔ばれするので黙っています。
「便りがないのはいい便り」

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ウズラ農家は完全な赤字状態 [うずらデータ]

ウズラ卵、高値続く 加工品9年ぶり値上げ

現在、豊橋産うずら卵の卸値は過去最高値水準です。
高値の主要因は、飼料の値上がりです。物流費の高騰もあり、養鶉農家は赤字状態で廃業が続いています。
うずたま屋は、うずらの卵ならではの商品、販促を展開していきます。
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麦鳥と雪鳥 [古文書を読んで知った言葉]

「本草網目啓蒙」 1805年成立

「高脚は雄、短脚は雌である。3、4月の麦の生長したときに取るのを麦鳥、冬取るのを雪鳥という」
麦鳥.png

鶉の項その1
鶉の項その2
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梟鶉(ふくろううずら) [古文書を読んで知った言葉]

飼籠鳥(1808年成立)に出てきます。

うずらを「ひょうたん」に入れて、夜飼いして飼い馴らす方法である。
ふくろううずらは掌の上での玩物(手のり)である。同時にうずらは鳴き声を楽しむものである。
また、金銭を賭けて勝負する闘鶉が流行した。
ひょうたんうずら.png
国立国会図書館蔵「飼籠鳥」
「瓢箪(ひょうたん)」「梟鶉(ふくろう)」「金銀を掛けて勝負」などが読めます。

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新城軽トラ市は台風接近のため中止 [移動販売出店情報]

10月22日(日)に予定されていた新城軽トラ市は、台風接近のため中止になりました。
10月21、22日は豊橋まつりがあるのですが、開催の判断は祭り当日7時に発表とか。
クラフトフェア蒲郡2017は来週です。
来月の新城軽トラ市では、うずらのゆで卵を販売予定です。
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大麦の水分調整実験 [火縄銃式ポン菓子プロジェクト]

【目標】大麦の水分を15%にする

【加水前】
9.5%

【加水後】
30分後 14.4%
1時間後 13.7%
2時間後 14%

【結論】計算値の分だけ水分が上昇する事が分かった。

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三河木綿の始まりと現状 [三河木綿]

竹島クラフトセンターで、三河木綿についてお聞きしました。

三河木綿の始まりとされている話
「崑崙人(インド人)が愛知県幡豆郡福地村(現在の西尾市)に綿種を持って漂着した。日本の綿の伝来とされる。」参考文献「類聚国史」「日本後記」西暦799年

・崑崙人は、インド(天竺)から来たという話が一般的ですがベトナム南部だそうです。
ベトナムには、「崑崙」という地域が存在します。
このベトナム南部地域で、日本に伝来した綿の原木を探すプロジェクトがあるとか・・・

・崑崙人が持っていた綿の種は日本の気候に合わず途絶えたという話は大阪の話でして、現在も当時の種が固定種として存在しています。

・三河木綿の定義は「東三河で織られた布」。綿花は外国産を使用していても三河木綿となります。国産の綿花を使った三河木綿はとても少ないです。明治時代でも外国産の綿花に押され、廃業した農家が多数存在したと蒲郡市博物館に書いてありました。


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ジョン・ケイの飛び杼 [機械発達史]

18世紀イギリスでの話です。
布を織るためには、よこ糸の巻いてある杼をたて糸の間を通さなければいけません。
当時は両手を交互に使って、杼を投げ入れていました。
杼を通すために二人作業になったり、幅の広い布を織ることはできませんでした。
イギリスのラシャ製造工ジョン・ケイが、ガイドロールで杼を叩いて投げ飛ばすようにしました。
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飛び杼が発明されたことにより・・・
・幅の広い布を織れるようになった
・早く布が織れるようになった
・職を失う心配をした職人達が、ケイの家と仕事場が打ち壊す
参考資料 「機械発達史」 1987年初版発行

1分40秒ぐらいから、飛び杼の話になります。

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綿繰機 [機械発達史]

糸を紡ぐためには、「棉」を「綿と種」に分ける工程が必要です。
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18世紀後半アメリカでのお話です。
①綿花に種子を取り除く作業は黒人奴隷が一つ一つ手で行っていた
生産量 1㎏前後/日

②ホイットニが、綿繰機を製作
生産量 23kg/日

③綿の生産量が増大 
1791年 143ポンド
1800年 3500ポンド
1845年 全世界の生産高の90%がアメリカ産

④南部では多数の黒人が働いていたが、綿の増産をするために黒人の労働は激しくなった

⑤黒人奴隷数 
1800年 85万人
1851年 3200万人

⑥南部の農業生産者と北部の工業製造業者との対立が、南北戦争に発展

【参考資料】「機械発達史」1987年初版発行
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